会員コラム 第1回 L椛島禎夫

「シンガポールの経験をライオンズ活動に生かしたい」

L椛島禎夫

1. はじめに

今期、福岡北ライオンズクラブの会長となりましたが、実は私は約30年前に、3年間シンガポールに勤務したことがあります。あの時の貴重な体験(失敗)を皆さんに知っていただき、同時に、これからの私のライオンズ活動に生かしたいと考え、思い出をレポートします。

2. 出向命令

約30年前、私はシンガポール政府と日本企業との合弁会社への出向辞令を受けました。この会社は、タンカー修繕を主に行い、東南アジアで一番大きなドックを持っていました。従業員は約600人、日本人出向者は約10人で、私の役職は経理部次長でした。

3. 赴任

家族のうち、家内と次男(小学校5年)はシンガポールに同行。長女(中学3年)と長男(中学1年)は福岡の母に預かってもらいました。

現地に行く飛行機から、マニラ沖に大型タンカーが多数係船されている様子が見え、修繕船事業の厳しさを感じました。

会社は、社長、工作部長、営業部長は日本人。会長、経理部長、勤労部長は現地人でした。私の上司は、私より10歳若いシンガポール大学卒業のエリートで、彼の兄は文部省の次官でした。彼は3~4年ごとに転職していました。容姿端麗で、日本本社に出張するとみんなが振り返るそうです。「ネバー・ギブアップ」が彼の口癖で、私は今までで初めてのタイプの上司に仕えることになりました。なお、10年前に、彼はシンガポール宝くじ協会の会長に栄転していました。また当時の会長は、10年前はシンガポール大統領でした。

経理部の女性,Mrs.リーを旧正月に訪問

4. 次男

次男は日本人学校に入学しました。生徒数約2000人で、銀行、商社、ゼネコン等の社員の子供たちで、先生は日本から志願して赴任された若い方が多くおられました。次男は「日本と違っていじめはない。みんな塾とかに行っている。学校は面白い」と言っていました。

帰国後、20歳の時の同窓会で会うと、みんな有名校に進学しているので驚いた、と言っていました。

5. 家内

シンガポールで暮らす奥さんの事を、「シンメンテン」(シンガポールは雌鳥の天国)と言います。「メイドを雇い、ショッピング、ゴルフ等楽しんでいる」と羨んでいました。現実は、メイドを雇う余裕はなく、日本の長女、長男が気になっていたようですが、生活をエンジョイもしていたようです。

経理部の女性たちとバーベキュー

6. 最初の仕事(合理化)

会社経営は赤字で、日本人経営者は厳しい対応を求められていました。

私も、電力契約料について「当初計画では大型ドック2本稼働が前提だったが、現実には1本で稼働しているので、料金設定を見直すべきである」と進言。また修繕船工事で、作業員が夜間になっても家に帰らず、終日残業時間として計上しているのに、実際は船内で夜間仮眠しているといった実態を知り、「労務管理などを見直すべきだ」と主張しました。

管理は、まったく日本の丸写しで、例えば労災事故が発生すると、「社長、部長以下全員の責任である」とし、陣頭指揮で対処するのですが、現地では、イギリスの植民地政策の影響か、労災を起こした社員の直接上司の作業員・係長の責任となります。私も後日、クレーンブーム折損事故で重傷を負った被害者の奥さんと、賠償額のネゴなどを行った時、平身低頭でなく、ビジネスライクに応対し、スムースにまとまりました。

7. 次の仕事(撤退)

赴任後約6か月が経過した時、日本人幹部の社長から「当社は、修繕船事業から撤退する。早急に準備にかかれ」との指示がありました。赴任命令の時は、「5年間出向し、経営合理化せよ」、だったのが、「撤退」に代わり、驚きました。

撤退となると、人員整理・資産評価・シンガポール政府との交渉・必要資金確保等、経理業務は大変です。「経理部の日本人は1人しかいないのに…」と思いましたが、生まれつきの呑気な性格なので「何とかなるやろう」と、腹をくくりました。

社長指示から数か月後、エリート経理部長から指示がありました。それは「明日、約400名に解雇通知をする。割増退職金を支払うので、部長と次長の2人のサインを400枚の小切手に今日中にしなければならない」というもので、夕方指示を受け、夜中に仕上げました。

翌朝、会社手配のバスで従業員が出社しますと、400人の解雇者は普段使うロッカールームではなく、食堂に行くよう指示されます。食堂には政府関係者・会社勤労部・経理部長次長が立ち会います。何も知らない解雇者は、政府組合・勤労部長より、「今から割増退職金を支払う。サインをして、待機しているバスに乗り、家に帰りなさい。明日からは会社にこなくて良い」と申し渡します。

突然解雇された者は、一切不穏な動きをすることなく、バスに乗り込みます。その中の顔見知りが、私を見て「シー・ユー・アゲイン」といい、握手して別れます。私はこの光景に吃驚しました。日本なら暴動が起こり、大混乱になったことでしょう。

現場関係者は数回に分けて解雇され、最後は、社長・私・経理女性2人、営業1人が残りました。経理、営業は現地人です。毎日残務整理に追われていました。

撤退契約書をシンガポール政府と締結したころ、円相場が急変し、1ドル250円が160円へとなりました。我々撤退関係者の全く予期せぬことが起こったのです。今まで日本国内で施工していた修繕船工事が、円相場の急変で、一気にシンガポールに流れてきたのです。

撤退していなかった日本の大手2社は仕事がいっぱいで、増収増益になりました。また大手2社は株を高値で現地投資家に売却し、日本本社へ多額の資金を送金したことを新聞で読み、ガックリしました。当方は東南アジア最大のドックや修繕船工事設備を超安値で売却し、何をしていたのか。一人で腹を立てていました。

当時のエンジニアMr.アンフック氏(現シンガポール大学講師)と

8. 最後の仕事

残ったのは、社長、私、営業男性1人、経理女性2人になりました。

我々日本人2人は帰国。現地は営業1人、経理1人だけ残し、後は本社に移管することになりました。このため経理1人解雇です。解雇退職金支給前日に、本人にその旨申し渡し、当日、経理女性2人を食事に誘いました。私は「豪華な食事を」と思っていたのですが、彼女たちは、安いハンバーグ店に行くと言いました。店では、通常と変わらぬ態度で雑談し、最後に、例の言葉「シー・ユー・アゲイン」で握手して、別れました。解雇となった女性はマレーシア国籍で、ワークビザで働いているので、次の就職口が見つからないと国外追放になります。「日本人なんかに、なめられたらいかん」というプライドからの冷静さだと思いました。

日本人スタッフ(ドック引渡し前)

9. 帰国

やっと帰国することになり、飛行機から富士山を見て、ホッとしました。

本社では「良くやった」と言われましたが、私は複雑な思いでした。他人に当たるわけにもいかず、今でも思い出すと気分が悪くなります。

長崎に戻って、僕の親友がブラジルの会社に出向する、と聞き、彼に「絶対に撤退はすべきでない。小さな改善を積み重ねることが大事だ。何が起こるかわからん。あとで後悔する。頑張るのみ」と言って、送り出しました。

以上が、約30年前に私がシンガポールで体験したことです。かなり前のことで、数字他、間違っていればご容赦ください。

それにしても、情報収集の大切さ、判断の重要さ、小さな改善の積み重ねの大切さを思わずにいられません。シンガポールでの貴重な経験を、これからのライオンズクラブの活動に生かしてきたいと思います。